イズルハ家の教育系体験記

イチコ(新・高1)ニコ(新・小6)オト(大黒柱)二児の母(私)が日々体験したことを教育系を中心に備忘録代わりに記録しています。公開日記のようなものです。気軽に読んでいってください。

人の命の重さを子どもに教えるということは…

命について、あまりにも軽く考えている人が増えているのでは…?

と思ってしまうような事件が多いような気がします。

(国内の事件に限らず、国外の戦争なども含めて。)

 

自分に害を及ぼす(及ぼされていると感じてしまっている)人を

直接、殺めるという行為ではなく、

全く自分とは関わりの無い人を傷つけるという行為に出る人が多く

とても恐ろしく思います。

生きたいと思い必死で生き抜こうとする人がいる一方で

ある一部の人は命というものをきちんと考えず、

人をただのモノのように見ているのでは?と。

 

他人の命をどうでもいいと思っている人は自分の命も大切に思っていない

というような言葉を聞きました。

そうか、自分の命さえも軽く見てしまっているのか、と悲しくなりました。

 

では、自分の命を大切にする子を育てるには?

大人としてどうしたらいいのでしょう。

 

きっと命の大切さを切々と語っても、何も響かないのでは、と思います。

なので、私だったら・・・

子どもをめちゃめちゃ愛します。

 

自分は大切にされている…という想いは

何よりも強い力になるのではないかと考えています。

 

私自身、昔、人生を終わりにしてしまってもいいかも…と

ふと思ったことがありましたが、母が、事あるごとに口にしていた

「あなたたち(私と妹)がどちらか一人でもいなくなったら

お母さんは生きていけない」という言葉に

思いとどまることができた経験があります。

自分は愛されているんだ、と感じることができていたためだと思います。

 

自分の命を大切にし、他人の命も大切にする。

みんな言葉では分かっているし、理解もしていると思いますが、

それを心から思えるかどうかは、心が愛で満たされているかどうかで

変わってくるのではないでしょうか。

 

愛なんて言葉は、ちょっと気恥ずかしいので普段は使ったりしませんが

でも、そういうことなんじゃないかなって思うんです。

 

事件を起こした少女の母親が

弟との扱いの差で不満を持っていたかも…という話をしていたようですが

同じ親として、

兄弟姉妹を同じように差が無く接するというのは不可能では?

と感じてます。

どんな扱いの差があったかは分かりませんが、

私もウチの子・長女イチコ(中2)と次女ニコ(小4)に対し

差のない扱いができているか、というと

「できていません」としか言いようがありません。

 

でも、私は二人を愛しています。

二人を同じように愛しているとは、これも言えません。

だって、二人は違う人物ですから。

イチコにはイチコの愛を感じているし、

ニコにはニコへの愛を感じています。

そして二人には、それぞれ、

その想いが伝わるように接しているつもりです。

その愛が伝わっているからかどうかは分かりませんが、

二人も私を愛してくれているな〜と感じることができています。

 

ニュースについて、時々、子どもたちと話し合うことがありますが、

今回の事件の話をした時も、言葉の端々から

イチコ、ニコともに、命の重さ・大切さについては

頭での理解だけでなく、心の底からきちんと分かってくれているな、

と感じることができました。

 

子育てをしていると、目の前の細々とした物にとらわれ

怒りや悲しみ不安で見失ってしまうこともありますが

そんな時は一度立ち止まって、まっさらな状態で

その子に向き合ってみると良いのかな、と思います。

 

というわけで、私は、人の命の重さを教えるということは

その人を心から愛してあげることではないかと考えます。

 

*****

ウクライナ侵攻が始まってから半年。

多くの大切な命が失われてしまったこと、残念でなりません。

突然、誰かに命を奪われ最期を迎えるのではなく

誰もが自分の人生を全うできる世の中であるよう

願うばかりです。