まずは本題とは関係ありませんが、
昨日、ブログで取り上げたニコのYouTubeを見てくださった方に
心よりお礼を申し上げます。
ニコが「再生回数、増えてるー!!」と喜んでおりました。
本当にありがとうございました(๑′ᴗ‵๑)
さて、ここからは本日のメインである
長女イチコ(中2)の定期テストにまつわる話になります。
受験生の母をしておりますと、テストや偏差値というものに
ついつい目を奪われ、一喜一憂してしまうものです。
なので、そのテストで良い点数をとるために
子どもが努力(勉強)をしていないと
やはり、「大丈夫かな?」とか「やるって言ったじゃん!」とか
不安になったり、責めてしまったりすることがあります。
では、そもそも、なぜ勉強をするのか?を考えました。
以前、読んだ『未来の授業』によりますと
みなさんが学んでいるものの正体、それは「魔法」です。
引用元;瀧本哲史著『未来の授業』より
とのこと。
昔の人にとって、今の社会は魔法そのもの。
馬の代わりに鉄のカタマリが走り回り、夜になっても煌々と明かりが灯り、テレビと呼ばれる薄っぺらい箱の向こうには異世界が広がっている。(中略)きっと彼らは、恐ろしい「妖術の国」に来てしまった、と腰を抜かすでしょう。
このように、人間は長年にわたって積み重ねてきた「技術」によって
「魔法のような世界」を現実のものにしてきた、と。
だから、私たちが学ぶことは、未来を作る「魔法」のようなものだと。
・・・そうなると、ですね。
テストの点数や偏差値というモノサシは、いったい何なのか?となります。
能力を測るための一つのツールではあるのは分かりますが、
教育の場で、その存在が大きくなりすぎて、
いつしか「テストのために頑張る勉強」になってしまっている・・・。
未来を作る「魔法」のためではなく。。
本当に子どもたちに必要なものは、いったい何なのか?
と、母は思い悩みました。(ちょっとだけですけど。)
今や、常々言われるようになっているのが、
これからの社会に必要な能力は
自分で考えて行動ができること、自分の個性を活かせること、
AIにはできない新しい価値を生み出す力を持つこと、などなど。
この中に「テストで良い点をとること」というのは入っていない。
この「テストで良い点」という価値観、
もはや一昔前のものと化しているにも関わらず、
まだまだ現代の学校教育の中では、大きな存在を示している。。
社会は変わっても、実際の教育現場は
そう簡単に変われるものではないのかもしれませんね。
ま、その価値観に親も乗っかっちゃって、慌ててた部分もあるので
大きな口は叩けないのですが・・・。
というわけで、先日、テスト勉強をするイチコに
「苦手科目なんて捨てて、得意の数学をもっと勉強してみたら?」
と言ってみた。
自分の得意分野を伸ばした方が、今、勉強している自分もハッピー♪
やりたいことを見つける未来の自分もハッピー♪ではないかな?と思って。
しかし、本人は「苦手な科目を捨てることはできない...」と言い
理科と社会の勉強をがんばっていた。
公立の高校受験をするには、全体の成績を上げておかなきゃいけないから…と。
勉強したいけどしたくないという相反する気持ちの狭間で、もがいて、
がんばっている姿を知っている母。
受験のためには、やっておかなきゃならない!ということも分かってる。
まだまだサボりたい気持ちに負けることの方が多いけれど
自分なりの勉強スタイルを手探りしながら机に向かおうとするイチコ。
ここは親が手を出してはいけない領域。
見守る、というのが、きっと正しい判断なのかなと。
だから「テストの点数がなんだ!偏差値がなんだ!
そんな小さなモノサシで、ウチの子の何が分かるというの!?」
と言いたい気持ちが山々ですが、
実際は言えないので、従ってしまう部分もありますが…w
母は、良い点を取るかどうかというモノサシではなく、
テストという課題を目の前にした時、自分はどう行動を取るか?という
『課題解決力のスキルアップに取り組んでいる』と捉えることにしました。
テストの点数よりも、その葛藤と戦ったことが素晴らしい。
テストの点数が良かったら、なお良いですけどね♪ww
ということで、まだテスト1日目ですが、
母は「よくがんばった!」と声を掛けたいと思っています。
+++++
ちなみに・・・
明日もテストがあるため、午前授業を終え、先ほど帰宅したイチコ。
「理科は2問 書けなかった…。でも社会は結構できた!
ま、他のみんなも出来てるっぽいけど・・・」と早速、報告してくれました。
がんばっていた理科と社会、
多少、解けなかったものはあるようですが、実力は発揮できた模様です。
「みんなも出来てる…」とイチコは残念がっていましたが、
努力しているみんなも素晴らしいじゃないか!
そうやって切磋琢磨できる環境にいられることが
とてもありがたいなぁ、と感じる母でした。